
沖縄全戦没者追悼式の前夜祭で、ろうそくの火で浮かび上がった「平和80」の文字=22日夕、沖縄県糸満市の平和祈念公園
◆―― 終結80年、記憶継承が課題
沖縄は23日、太平洋戦争末期の沖縄戦で旧日本軍の組織的戦闘が終結したとされる「慰霊の日」を迎えた。当時を直接知る世代は少なくなり、惨禍の記憶の継承が課題となっている。80年前、最後の激戦地となった沖縄本島南部・糸満市摩文仁の平和祈念公園では22日、沖縄全戦没者追悼式の前夜祭が開かれ、日米の戦没者計約20万人を悼んだ。
前夜祭では鐘の音が響く中、約330人が黙とうをささげた。沖縄戦で父を亡くした県遺族連合会の宮城博副会長(79)は「戦争体験者や遺族会の会員が年々減っている。若い世代や県外の人にも追悼式に参加して戦争について知ってもらいたい」と話した。
那覇市の高校3年瑞慶山大輔さん(17)は「自分にとっては平和が当たり前だが、壮絶な戦争があった過去とも向き合っていきたい」と語った。
サーチライトで「平和の光の柱」が夜空に照射され、点灯したキャンドルで「平和80」の文字がかたどられた。
米軍は1945年3月26日、慶良間諸島に侵攻、4月1日に本島中部へ上陸した。防衛に当たった旧日本陸軍の第32軍は5月22日、首里(那覇市)から、多くの住民が避難していた本島南部への撤退を決めた。
南部撤退は、「捨て石」として本土決戦への時間を稼ぎ、米軍の兵力をそぐ目的だったが、軍民入り乱れる戦場で住民の被害は拡大。沖縄戦全体で県民の4人に1人が犠牲になったとされる。
軍事的要衝としての沖縄の位置づけは近年も変わらない。台湾や沖縄県・尖閣諸島を巡る緊張を背景に、政府は自衛隊の「南西シフト」を推進。国土面積の約0・6%の沖縄に在日米軍専用施設の7割が集中しており、過重な基地負担を解消する道筋は見えない。
【沖縄戦】1945年3月26日、米軍は沖縄・慶良間諸島に上陸し、4月1日に本島へ侵攻した。空襲や艦砲射撃など「鉄の暴風」と呼ばれる猛攻撃を加え、一般住民の死者は推計約9万4千人。旧日本軍による住民虐殺や、住民の「集団自決」も発生した。旧日本軍の組織的戦闘は6月23日に終わったとされるが、その後も局地的な抵抗が続いた。