
天文学者になった山際彗子が、神奈川県秦野市に帰ってきた。手作りで太陽系の果てを観測する天文台を建てるというのだ。28年ぶりの再会を果たした高校時代の同級生・種村久志は、かつての仲間たちと共に、流されるまま、彗子の計画に力を貸すことになった。手伝いながら、高校最後の夏、協力して「オオルリ(渡り鳥)」の巨大なタペストリーを制作した日々に思いを馳せる。だが、天文台作りをきっかけに、仲間が抱えていた切ない秘密を知り、美しい時間だけではなかったのだと振り返る。久志たちは、行き詰まった人生の中で「今の自分」を、自ら少しずつ変えはじめる。童話の「青い鳥」のように、隠れていた幸せに気付いたからだ。喪失の痛みと共に、明日への一歩を歩み出す、あたたかな再生の物語である。
高校1年の夏休み、私は数名のクラスメートと、シスター先生と共に「ローマへの道」を歩いていた。シスター先生の尽力で、関係者以外立ち入り禁止の「トラピスト修道院」に宿泊するためだった。「朝夕の礼拝には、必ず出席すること」を約束に、引率してくれたのだ。修道院の礼拝堂や、自給自足のための建物裏の家畜場や畑など、立ち入り禁止の場所は、あの頃は考えもしなかったが、今は特別で貴重な風景だったと理解できる。
中でも夕方の礼拝後、初めて見た「星が降ってくるような夜空」は忘れられない。周囲に人工の光がなく、すっぽりと夜のとばりに包まれた空は、手を伸ばせば星まで届きそうだった。圧倒されて、異口同音に「すごい!」と声を上げた。渡島当別駅で帰りの列車を待つ間、浜辺で集合写真を撮った。何でもないクラスメートとの記念写真だが、その中の一人が40手前の若さで、アメリカで亡くなった。彼女の遺言で、骨の一部はグランドキャニオンに散骨された。病が判明した後「私ね、病気を言い訳に、自分の人生をあきらめたくないの」と友人に語り、彼女は最期まで祈りの日々を続けて逝った。
息をのむ星空を思い出す時、彼女の言葉も思い出す。だから迷っても、苦しんでも、非難されても、心が折れてしまっても、与えられた時間を、私は生きていく。かくして、私はどんどん欲まみれになっていくのだ。