
アジア人で初めて米国野球殿堂入りし、表彰式典でスピーチするイチローさん=27日、ニューヨーク州クーパーズタウン(共同)
◆―― 聖地で表彰式典、アジア初 メジャー通算3089安打
【クーパーズタウン(米ニューヨーク州)共同】米大リーグのマリナーズなどで通算3089安打を放ち、アジア人で初めて米国野球殿堂入りしたイチローさん(51)=本名・鈴木一朗=が27日(日本時間28日)、野球の聖地であるニューヨーク州クーパーズタウンで開かれた表彰式典に出席した。練習を重ねた英語でのスピーチで「米殿堂に入るのは私の目標ではなかった。でも今日、この場にいることは素晴らしい夢のようだ」と笑顔で語った。
スーツ姿で登壇したイチローさんは、体格的に周囲に圧倒されたというデビュー当時を振り返り「信念を貫けば乗り越えられる。私の義務は開幕日から(最終戦の)162試合目まで同じ情熱でプレーすることだと思っていた」と語った。自らが達成した数々の記録については「ノット・バッド(悪くないね)」とおどけるなど時折冗談も交えて約20分に渡り、喜びを述べた。
日本人メジャーリーガーの開拓者、野茂英雄さんにも言及し「野茂さん、ありがとうございました」と日本語で感謝した。会場にはイチローさんの現役時代のユニホームを着た日米のファンも多く訪れ、登壇時やスピーチ後には「イチローコール」が沸き起こった。
走攻守に活躍して日本人野手の道を開いたイチローさんは、1年目の2001年にマリナーズで首位打者と盗塁王に輝き、アメリカン・リーグ最優秀選手(MVP)と新人王を同時受賞。04年にはメジャー新記録のシーズン262安打で2度目の首位打者を獲得した。
デビューから10年連続で200安打以上を記録し、外野手としてゴールドグラブ賞も10年連続で受賞。大リーグ通算成績は2653試合で打率3割1分1厘、117本塁打、780打点、509盗塁だった。
米野球殿堂入りはメジャーで10年以上プレーし、引退から5年が経過した元選手らが対象となる。全米野球記者協会に10年以上在籍する記者の投票で75%以上の得票が条件で、イチローさんは99・7%だった。
イチローさん(本名=鈴木一朗) 愛知・愛工大名電高から92年にプロ野球オリックスに入団し、94年から7年連続首位打者。米大リーグ、マリナーズに移籍した01年に首位打者となり、アメリカン・リーグ最優秀選手と新人王を同時受賞。04年にはシーズン262安打の大リーグ記録を樹立した。ヤンキース、マーリンズでもプレーし、16年に大リーグ通算3千安打に到達。19年に引退した。メジャー通算3089安打、日米通算では4367安打。51歳。愛知県出身。
【米国野球殿堂】米野球界に貢献した選手、監督、審判員などを顕彰する。競技者部門は全米野球記者協会に10年以上在籍する会員が成績、品格、チームへの貢献度などを考慮して投票。選考は1936年に始まり、第1回はベーブ・ルース、タイ・カッブらが選ばれた。選考期間は10年間で、得票率が5%に満たなければ翌年の対象から外される。会員投票とは別に、選考委員が時代別に功績を残した選手らを選ぶ方式もある。殿堂博物館はニューヨーク州クーパーズタウンにあり、審査を受けた用具などが地下の保管庫に4万点以上収められている。
◆―― イチローさんに大きな喝采 聖地で喜び「また新人に」
「3度目のルーキーです」―。米国野球殿堂入りしたイチローさん(51)=本名。・鈴木一朗=は27日、ニューヨーク州クーパーズタウンで行われた表彰式典で、緊張感をにじませながらも、英語でのスピーチで喜びや周囲への感謝を語った。
「ベースボールの聖地」クーパーズタウンの屋外会場に集まったファンは、ひときわ大きな喝采でイチローさんを迎えた。冒頭、イチローさんはプロ野球入団時、大リーグ移籍時に続き「再びルーキーになった」と初々しく語り、「素晴らしいチームに加えてもらい感謝」と感慨を口にした。
日本人野手として道を開いたメジャー挑戦で、その重圧を乗り越え最高の栄誉を手にした。「米国に来た時は大きいメジャーリーガーと戦うには細すぎだと言われた」と振り返り、「小さなことを積み重ねていけば、達成できることに限界はない」と実感を込めた。
プロ野球オリックスやマリナーズなど所属球団、日本人大リーガーの先駆者である野茂英雄さんらへの感謝を述べた後、最後に思いを伝えたのはスピーチを見守った妻の弓子さん(59)。「今までで一番のチームメート」と目を細めた。
◆―― 気持ちが伝わるのは英語
英語でのスピーチを終えた後の、イチローさんの一問一答は次の通り。
―スピーチの準備は大変だったか。
「最も力になってくれたのは妻。練習(回数)は数えられない。20分近くあるので何回もできない難しさがあった」
―英語で話した理由。
「気持ちが(より)伝わるのはやっぱり米国の言葉である英語と思った。日本語で話すのとは全く次元が違う。ものすごく高いハードルだったが、迷いはなかった」
―何度も笑いを誘った。
「伝わっているのか、という心配の方が強かった。英語のジョークと日本語のジョークは全く違うが、僕は基本的に楽しくいたい人間。米野球殿堂入りはゴールではなかったが(周囲を)笑わすことは結構ゴールにしている」
―野茂さんへの感謝だけは日本語だった。
「野茂さんが(大リーグで)プレーしていなければ(米野球との)距離は永遠に縮まらなかったと思う。自分がすごく悩んで、葛藤していたときに野茂さんの活躍が目に入ってきてすごく感動した。僕は(近鉄時代の)野茂さんと対戦していたので、自分のモチベーションにつながった」