
日航機墜落事故現場の尾根に立つ「昇魂之碑」で手を合わせる遺族=12日午前、群馬県上野村
◆―― 遺族登山、520人追悼 高齢化、教訓継承に課題
乗客乗員520人が犠牲となった1985年の日航ジャンボ機墜落事故から40年となった12日、遺族らが群馬県上野村にある現場「御巣鷹の尾根」を慰霊登山した。墜落地点の尾根に立つ「昇魂之碑」などで亡くなった人たちを追悼し、空の安全を祈願。「風化させない」との声が聞かれた。遺族が高齢化し、当時を知る日航社員もわずかとなる中、大惨事の教訓継承と安全確保に向けた航空各社の取り組みが問われている。
遺族らは、尾根の斜面に点在する墓標へ、亡き人を思いながら雨でぬかるんだ登山道を一歩一歩踏みしめた。時折手すりをつかみ、息を整えながら登る高齢者もいた。
「昇魂之碑」に集まり、黙とう。空の安全を願って鐘を鳴らし、子どもたちがシャボン玉を飛ばした。2011年の東日本大震災や14年の御嶽山噴火の遺族らも参加した。
兄の修司さん=当時(24)=を失った大阪府寝屋川市の会社員・竹永利明さん(60)は、新しく作り替えた墓標の前で「40年が経過しても悲しみはなくならない。二度と事故が起こらないように願う」と手を合わせた。
日航によると、登山者は午前11時現在で63家族の217人。鳥取三津子社長は雨具を脱いで昇魂之碑に献花し、深く頭を下げた。
尾根は普段、携帯電話の電波が届かないが、今年もKDDI(au)が近くに臨時の基地局を設置し、通信環境が整備された。
12日夕には、尾根の麓にある「慰霊の園」で追悼慰霊式が営まれる。
事故の死者数は、単独機事故として今でも世界の航空史上最悪。事故機は、夏休みで多くの家族連れや出張帰りの会社員らでほぼ満席となっており、歌手の坂本九さん=当時(43)=ら著名人も亡くなった。生存者は4人だった。
航空事故は世界各地で相次いでいる。国内では昨年1月、羽田空港で日航機と海上保安庁の航空機が衝突し、海保機の5人が亡くなった。
【日航ジャンボ機墜落事故】1985年8月12日午後6時56分、羽田発大阪行き日航123便ジャンボ機が群馬県上野村の山中に墜落した。乗客乗員524人のうち520人が死亡し、単独機事故として死者数は世界の航空史上最悪。87年、当時の運輸省航空事故調査委員会は、78年のしりもち事故で米ボーイングが圧力隔壁を修理した際にミスがあったことが原因と結論付けた。県警は業務上過失致死傷容疑で日航、ボーイング、運輸省関係者計20人を書類送検したが、全員不起訴となった。
◆―― 癒えぬ傷胸に、祈りささげ 墓標に「今年も来たよ」
「航空史上最悪」の惨事から40年。家族や親戚、友人を失った人々は、降り続いた雨で緩んだ足元をつえで確かめながら、慎重に登山道を進んだ。1985年に起きた日航機墜落事故の遺族らは12日、御巣鷹の尾根(群馬県上野村)の墓標に向かい、次々と手を合わせた。「今年も子どもたちを連れてきたよ」。癒えない心の傷と大切な人への思いを胸に、祈りをささげた。
この日は曇り空で、雨もぱらついた。時折風も吹く中、足のけがを抱えながらも娘の墓標を目指す高齢の遺族の姿があった。「あと少し」と励まし合う場面も見られた。尾根に立つ「昇魂之碑」前では午前10時半ごろ、遺族らが鎮魂の願いを込め、緑や青、ピンクなど色とりどりの風船を空に飛ばした。
叔父の石倉六郎さん=当時(41)=を亡くした茨城県ひたちなか市の会社員・磯禎典さん(54)は、長男(25)や次男(17)とともに登った。長男が2歳の時から登山に連れてきたが、遺族も世代交代が進むと実感するという。慰霊登山を継承したいとし「事故を知っている世代も知らない世代も、気持ちは一つ」と語った。
日航の安全体制に苦言を呈した遺族も。いとこの斎藤直美さん=当時(23)=と真由美さん=当時(20)=を亡くした水戸市の藤原正善さん(65)。妻と、初めて慰霊登山に参加した娘2人と墓標に手を合わせた。昨年12月に発覚した、機長のアルコール検出問題に触れ「飲酒がなくならないのは心のありように問題がある」と警鐘を鳴らした。