室蘭商工協会の発足により室蘭商業会議所設立につながった
室蘭の経済界のかじ取り役を担う室蘭商工会議所。その“船頭”を担うのが会頭だ。商工会議所法第32条で「商工会議所に、会頭一人」、第33条で「会頭は、商工会議所を代表し、所務を総理する」とあり、文字通り商議所のトップ。商工業振興への各種政策立案に加えて、時代の転換点で重要な判断を迫られる場合もある。歴代会頭の足跡をたどった。
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商工協会創設の功労者/高橋是清に稟請書提出
室蘭鉄道開設を端緒として設立の機運が高まったのは第1部で触れた通り。室蘭商議所の前身は1924年の室蘭商業会議所だが、早期実現に向けて発足したのが、室蘭実業会と室蘭実業青年会、室蘭経済調査会の3団体が統合されて誕生した室蘭商工協会。創立委員会を立ち上げて、設立への道筋を示した。委員長は中村俊清・初代室蘭市長。
この室蘭商工協会会頭に選ばれたのが小林繁弥氏。23年8月、第1回総会で役員選考委員を決定。9月の第2回総会で会頭と副会頭、常議員、特別委員が決まった。小林氏は創立功労者として、歴代役員・議員の一人として名を連ねている。
商工協会の結成は、室蘭経済界不退転の決意の表れでもある。第1回総会で中村市長は「本市の商工業界は不振沈滞をきたし、その原因は多々あるも専門的に組織せる調査策動の機関の欠如が最大の原因である。商工協会の設立により、諸君はその代表として本市実業の発展をはかり福利を増進するために一大飛躍を試み、会員の期待に沿はんことを希(こいねが)うものなり」と檄(げき)を飛ばした。
24年2月、小林氏が商議所設立認可の報を待たずに他界。跡を継いだのは楢崎平太郎氏。商業会議所設立発起人として、稟請書を高橋是清・農商務大臣に提出。上京活動も重ねた。
晴れて24年11月6日、設立が認可された。同日は、今に続く室蘭商議所の創立記念日となっている。
25年1月に初代会頭に楢崎氏が就任。副会頭1人、常議員7人、特別議員12人という役員の陣容だった。
当時、室蘭港の修築計画は道の第1期拓殖計画で進められていた。ただ、鉄道省の海陸連絡施設の整備にからんだ計画変更を巡り、商議所内も意見が割れた。25年8月の総会でも緊迫した空気が流れた。楢崎氏が「政争の具に供せんとして建議案を提出するのは、はなはだ不穏当であると思う」と述べるなど、当時の労苦がうかがえる。
27年4月公布、28年1月施行の新法としての商工会議所法に基づき、室蘭商業会議所も室蘭商工会議所として同年9月に認可を受けた。商工会議所としては初となる議員選挙では、会議所法により女性の選挙権が認められていた。室蘭も函館商工会議所の議員選挙の視察に行き、女性の投票を呼びかけた。
楢崎氏は12月の総会で再任。前回選挙では内閣打倒や第二次護憲運動など政争の余波も見られたが、今回は不況に耐え抜く協調性のもと、比較的冷静な選挙が行われていた。